84歳の方の人生
ちょっと今日は趣向が違うのですが、7月17日にいつも参加させて頂いている研修会にて84歳の方のお話をお聞きしました。
※イメージ図
化学の世界におられた方で
「人前で話すのは初めてでうまく喋れなくてすいません」
と仰っていて、確かに失礼ながらお世辞にも上手な話の展開の仕方ではなかったのだけれど、その積み重ねてこられた歴史の重みから生み出される話の数々のポテンシャルは凄まじかった。
なんせ昭和9年生まれで戦争を経験されてらっしゃる。戦争時代のお話は生々しく、疎開先でいじめられた話や、PW(戦争捕虜)からチョコレートをもらって食べた“あの味”は忘れられないぐらい美味しかったと仰っていたその話には強烈なインパクトがありました。
そこで、貴重なお話を聞きしたのでその中からの気付きや逸話をいくつかシェアしたいと思います。
1.50~60歳からの20年はアッという間
ご自身、現在の自身の年齢は50~60歳の感覚と仰っていました。そこからの20年はめちゃくちゃ早かったのだとか。つまりは50代60代でのんきに過ごすとアッという間に年を取るということですよね。そのためには40代からの準備が大切なのではないかと思いまして、自分の今の立ち位置ややりたいこと、やっていることを今一度見直そうと思いました。
2.勝負出来なかった後悔
化学関係の会社で界面活性剤の研究をされていたそうで、最初は社員数人の会社に住み込みで就職し、定年まで勤め上げられたそう。その間、会社は50人規模の会社に成長したそうですが、何度も「会社がお金を投じてくれればもっと大きな会社になったはず」という趣旨の話をされていました。ご自身は勤め人だったわけですが、そこで勝負出来なかったことへの後悔が感じられました。僕は今、ちょうどそういった年齢まっただ中で、今後、ちゃんと勝負すべきところは思い切って勝負していくべきだと感じました。
3.今は猛暑だが昔は極寒だった
今、猛暑が話題です。というか社会問題ですよね。Twitterでは約40年前の月間気温の表が流れてきて、昔の人はこんな楽ちんだったとも取れるような投稿がありましたが、昔は京都の北の方では大雪が積もるのが当たり前で、冬は家の二階ぐらいの高さまで冬が積もったそうです。その当時は粗末な靴しかなく、とにかく足が寒かったと。そういえば滋賀県でも僕が子供の頃は「余呉など湖北では雪下ろしをしないと屋根がつぶれる」という事を普通に社会科で習った記憶があります。それはそれでさぞかし大変だったんだろうと感じた次第。
4.食べたくて食べたくて仕方がなかった
疎開先では町から引っ越してきたので、自分の家の畑もなく食べるものがなかったそう。地元の家庭は畑や田んぼがあるので、まだお米が食べられたらしいのですが、そんなわけでとにかく腹ペコで「食べたくて食べたくて仕方がなかった」と仰っていました。また学校で弁当泥棒が続出したそうで、露骨に疎開してきた子、また仰っていたままの表記で書くが当時の朝鮮部落の子達が呼び出され疑われたのだとか。
ちなみにその犯人は先生だったのだそう。先生も町から来た人で食うのに困っていたようで、今からは想像もできないお話でかなりインパクトがありました。
84歳の人生は深い。
冒頭にも書きましたが、決してお話が上手だったわけではなく、正直、話が前後前後してき着心地が良いとは言えなかったのですが、それでも引き込まれたのは84年を生きてこられたその経験がとてつもなく深かったこと。84年生きる意味がそこに見出せた気がします。長生きしてえわ!と初めて思いました。
84歳の方の人生を改めて聞く機会って滅多にないというか、僕自身初めてで、とても貴重な体験でした。一般的に老害と言われるタイプの方とは無縁の、優しさに溢れた大先輩だったので、84歳になってもこうして人前で話すことにチャレンジされる事に憧れを抱きました。
また4月に僕が登壇させて頂いた回を聴講してくださっていたので、この方の前で話せたことを誇りに思いました。
まだまだたくさんお聞きしたので、うまくシェア出来ているかわかりませんが、何かのご参考になれば幸いです。
おわり。