スニーカーブームという意味では90年代ずっとスニーカーブームでしたが、ハイテクスニーカーブームとなると、ポンプフューリーの出る94年から96年ぐらいまで。
その後来たのがadidasです。
ちょうどその頃から裏原ブームに火がつき始め、藤原ヒロシ、NIGOなどのファッションアイコンによりadidasのスニーカーが人気を博し、更に当時、大人気を誇ったPUFFYの二人が履いたりとかで、adidasが物凄い人気を獲得します。
そんな頃、例に漏れず、19,20歳ぐらいだった僕はadidasのスーパースターを手に入れます。
多分、またアメ村のスニーカーのStepで買ったような記憶があります。
当時出た金ベロの復刻で色は白×エンジでした。
当時、友達のシモやチンも履いていたので、よほど人気があったのでしょう。
通気性が悪く、素足で履くと足が物凄いことになった記憶があります。
当時はジーパンもブームで、ヴィンテージからレプリカまで種類を問わずみんながジーパンを育てて色落ちを競い合ってた時代で、ジーパンにはハイテクスニーカーよりスーパースターの方がよく似合った、とそんな背景もあったのかなぁと思います。
スーパースターはピンピンに綺麗だと、なんかイマイチで、ややヤれてくるといいアジが出てくるので、そんなところもジーパンを育てる世の中の風潮に合致した気がします。
当の僕は世の中みーんな濃紺〜濃紺の色落ちした具合のジーパンって状況が嫌になり、なんか違うパンツを履いていましたが、それが何のパンツだったのかはあまり記憶にありません。
あ、ビッグステップの隣にあったイエスターという古着屋さんで買ったグレーの後染めの501は気に入って履いてましたね。
大流行のスーパースターを履いておいて世の中の流行に嫌気がさし、とかよく言えたものですが、なんかそんな感じでしたね。
当時はあの辺りにいっぱい古着屋さんがあって、今、古着業界で活躍してる方々も当時に古着屋で働き始められた方や、当時にお店をされた方がおおく、当時の古着屋さんの話をするとみんな止まらなくなります。
ただ、間も無く僕の古着離れが始まる瞬間でもあるのですが、それはまた次回の話で。
おわり。